大切な話
マジックじゃない話し
ここ数日はとても忙しかったのですが、S&Mデックの出品が理由ではありません。
簡潔にその理由を述べたいと思います。
ねこ、増えた
白黒の子猫。
ある事情があって母方の知り合いが育てきれなくなり、我が家で預かることになりました。
名前は「メイ」
5月に我が家にきたからです。
まだ生まれて1ヶ月、片手に乗ってしまいます。
もう、あれですね、鼻血でるくらい可愛いでずよ"ね"(鼻血を止めながら)
今は哺乳瓶からミルクをあげて、トイレを教えたりする時期です。
人間の赤ちゃんも同じなのでしょうが、相手をするのに時間を取られ、とてもとても大変です。大変ですが、そんなこと気にならないくらい可愛いです。
チビさんとの相性が心配でしたが、最初は威嚇していたチビさんも、段々と慣れてきて、すれ違っても大丈夫な程度になりました。この調子なら問題無いでしょう。
さて、犬や猫をペットとして飼う、というのは、飼っている人であればお分かりかと思いますが、「飼う」というよりも「一緒に生活する」と言ったほうが合っていると思います。
その子を育てる、命を預かる、と決める時、ある覚悟が必要だと僕は思います。
その子を殺す決断をしなくてはならない時がくるかもしれない、という覚悟です。
簡潔にその理由を述べたいと思います。
ねこ、増えた
白黒の子猫。

名前は「メイ」
5月に我が家にきたからです。
まだ生まれて1ヶ月、片手に乗ってしまいます。
もう、あれですね、鼻血でるくらい可愛いでずよ"ね"(鼻血を止めながら)
今は哺乳瓶からミルクをあげて、トイレを教えたりする時期です。
人間の赤ちゃんも同じなのでしょうが、相手をするのに時間を取られ、とてもとても大変です。大変ですが、そんなこと気にならないくらい可愛いです。
チビさんとの相性が心配でしたが、最初は威嚇していたチビさんも、段々と慣れてきて、すれ違っても大丈夫な程度になりました。この調子なら問題無いでしょう。
さて、犬や猫をペットとして飼う、というのは、飼っている人であればお分かりかと思いますが、「飼う」というよりも「一緒に生活する」と言ったほうが合っていると思います。
その子を育てる、命を預かる、と決める時、ある覚悟が必要だと僕は思います。
その子を殺す決断をしなくてはならない時がくるかもしれない、という覚悟です。
我が家には昔、クロさんという名前の一匹の猫がいました。
捨てられているのを母が拾ってきたのです。
丁度、今のメイさんと同じくらいの、生後1か月以内の子猫でした。
僕のベットの枕の横が「定位置」でした。クロさんがそこに座り、僕がその横で本を読みながらカードを弄っている、という事がよくありました。
親馬鹿(飼い主馬鹿かな?)かもしれませんが、クロさんは非常に綺麗な猫でした。すらっと長い尻尾に、毛繕いを欠かさない艶のある黒い毛は、まるでモデルのようでした。
クロさんは10歳ごろに死んでしまいましたが、時期的にはチビさんが赤ちゃんの時と少しだけかぶっています。その頃の写真は少ないのですが、ちょっとだけ残っています。
チビさんはこの頃、クロさんにべったりと懐き、クロさんは迷惑そうにしながらも仕方なく付き合っていましたね。
チビさんが我が家に来てから少し経ったある日、クロさんの後ろ足の付け根に何か腫れモノが出来ているのを見つけました。
癌でした。
その腫瘍は手術で取り除いたものの、昔からお世話になっている獣医さん(ハタさんと呼んでいます)からは「どこかに転移する可能性が高い」と言われました。
もともと、猫は癌になりやすい動物なのだそうです。
手術の痕も消えかかってきた頃、クロさんの呼吸の音がおかしいことに気づきました。
人間の喘息のように、「ぜー、ぜー」と苦しそうな呼吸をしているのです。
肺癌でした。
ハタさんから、もう手遅れの状態だと告げられました。
猫の肺癌は稀な症例で、異常が確認出来る頃にはもう手遅れなことが多いのだそうです。
クロさんは殆ど食事をしなくなり、どんどん痩せていきました。
骨と皮だけのガリガリの状態で、ハタさんに点滴を打ってもらったりしていましたが、獣医ではない僕の目から見ても、もう駄目でした。
ある日、ハタさんから「安楽死もできます」と言われました。
悩みました。とても悩みました。
この場で注射を一本打てば、クロさんは楽になります。
僕は病院から電話で家族と相談しました。
相談を終えて、その結論をハタさんに告げてから、僕は診察台の上に伏せているクロさんの頭に手を乗せ、撫でながら言いました。
「クロさん、ウチに帰ろう」
おウチで看取ってあげてください、というハタさんに、クロさんを抱きながら僕は「有難うございました」と頭を下げました。
溜まっていた涙がメガネにぽたぽた落ちました。
この結論が正しかったのかは分かりません。正しいとか正しくないという簡単な結論が出ないものだと思います。
安楽死を選んだほうが良かったのかもしれない、と今になって後悔しますが、もし安楽死させていたら、自分の家で看取ってあげたかった、と後悔したでしょう。
猫は死に際を見せない(安全な場所で回復しようとする)と聞いたことがあると思いますが、家に帰ったクロさんは、僕のベットの下に潜り込んでじっと座って出てきませんでした。
たまに出てきて水を飲むくらいで、一日中、ベットの下に居ました。
数日後、土曜日のお昼頃、クロさんはふらっとベットの下から出てきました。
そして、ベットの上に何とかよじ登り、枕の横の「定位置」に座りました。
僕は直ぐに寄り添ってクロさんの頭を撫でました。
「ああ、もう死ぬんだな」
と直感しました。
ずっと撫でていました。
クロさんは苦しそうに呼吸しながら目を閉じ、眠っているようにも見えました。
20分くらいそうしていると、急によろりと立ち上がりました。
そしてパタリと倒れて痙攣しはじめました。
四肢をつっぱり、目の焦点があっておらず、ビクリビクリと痙攣するクロさんの頭を、左手で支え、震える右手でしっかりと撫で続けました。
「大丈夫だよ、独りじゃないよ、大丈夫、大丈夫だよ」
と言いながら撫で続けました。
ぼろぼろ泣きながら撫で続けました。
時間にしたら30秒もなかったでしょう。
クロさんの痙攣は止まりました。鼓動も、呼吸も止まっていました。
僕はクロさんの全てが止まってからも撫で続けていました。
「よかったねぇ、クロさん。もう苦しくないね。ありがとう。ありがとう」
と言いながら撫でていました。
何故このときに「ありがとう」を連呼していたのかは、今でもよくわかりません。何故かそういう感情が湧きあがってきたのです。
冷たくなっていくクロさんが寒くないように毛布で包み、家族に連絡しました。
その時一緒に家にいた妹も、クロさんの亡骸を撫でながら泣きました。
火葬したクロさんの骨は、あの長い綺麗な尻尾がはっきりわかりました。
その骨は今も我が家にあります。
命を預かるとは、こういうことです。
クロさんを捨てた元飼い主にも何か事情があったのでしょう。
僕があの時、クロさんを殺す選択が出来たように、命を預かった側は、その命を捨てることもできるのです。
命を預かるというのは、そういう事なんです。
メイさんの体重は、約400グラム。
僕が今まで持ってきたモノの中で最も重い400グラムです。
どうか、健やかに、幸せに。
これから一緒に生活してきましょうね。
捨てられているのを母が拾ってきたのです。
丁度、今のメイさんと同じくらいの、生後1か月以内の子猫でした。
僕のベットの枕の横が「定位置」でした。クロさんがそこに座り、僕がその横で本を読みながらカードを弄っている、という事がよくありました。
親馬鹿(飼い主馬鹿かな?)かもしれませんが、クロさんは非常に綺麗な猫でした。すらっと長い尻尾に、毛繕いを欠かさない艶のある黒い毛は、まるでモデルのようでした。
クロさんは10歳ごろに死んでしまいましたが、時期的にはチビさんが赤ちゃんの時と少しだけかぶっています。その頃の写真は少ないのですが、ちょっとだけ残っています。


チビさんが我が家に来てから少し経ったある日、クロさんの後ろ足の付け根に何か腫れモノが出来ているのを見つけました。
癌でした。
その腫瘍は手術で取り除いたものの、昔からお世話になっている獣医さん(ハタさんと呼んでいます)からは「どこかに転移する可能性が高い」と言われました。
もともと、猫は癌になりやすい動物なのだそうです。
手術の痕も消えかかってきた頃、クロさんの呼吸の音がおかしいことに気づきました。
人間の喘息のように、「ぜー、ぜー」と苦しそうな呼吸をしているのです。
肺癌でした。
ハタさんから、もう手遅れの状態だと告げられました。
猫の肺癌は稀な症例で、異常が確認出来る頃にはもう手遅れなことが多いのだそうです。
クロさんは殆ど食事をしなくなり、どんどん痩せていきました。
骨と皮だけのガリガリの状態で、ハタさんに点滴を打ってもらったりしていましたが、獣医ではない僕の目から見ても、もう駄目でした。
ある日、ハタさんから「安楽死もできます」と言われました。
悩みました。とても悩みました。
この場で注射を一本打てば、クロさんは楽になります。
僕は病院から電話で家族と相談しました。
相談を終えて、その結論をハタさんに告げてから、僕は診察台の上に伏せているクロさんの頭に手を乗せ、撫でながら言いました。
「クロさん、ウチに帰ろう」
おウチで看取ってあげてください、というハタさんに、クロさんを抱きながら僕は「有難うございました」と頭を下げました。
溜まっていた涙がメガネにぽたぽた落ちました。
この結論が正しかったのかは分かりません。正しいとか正しくないという簡単な結論が出ないものだと思います。
安楽死を選んだほうが良かったのかもしれない、と今になって後悔しますが、もし安楽死させていたら、自分の家で看取ってあげたかった、と後悔したでしょう。
猫は死に際を見せない(安全な場所で回復しようとする)と聞いたことがあると思いますが、家に帰ったクロさんは、僕のベットの下に潜り込んでじっと座って出てきませんでした。
たまに出てきて水を飲むくらいで、一日中、ベットの下に居ました。
数日後、土曜日のお昼頃、クロさんはふらっとベットの下から出てきました。
そして、ベットの上に何とかよじ登り、枕の横の「定位置」に座りました。
僕は直ぐに寄り添ってクロさんの頭を撫でました。
「ああ、もう死ぬんだな」
と直感しました。
ずっと撫でていました。
クロさんは苦しそうに呼吸しながら目を閉じ、眠っているようにも見えました。
20分くらいそうしていると、急によろりと立ち上がりました。
そしてパタリと倒れて痙攣しはじめました。
四肢をつっぱり、目の焦点があっておらず、ビクリビクリと痙攣するクロさんの頭を、左手で支え、震える右手でしっかりと撫で続けました。
「大丈夫だよ、独りじゃないよ、大丈夫、大丈夫だよ」
と言いながら撫で続けました。
ぼろぼろ泣きながら撫で続けました。
時間にしたら30秒もなかったでしょう。
クロさんの痙攣は止まりました。鼓動も、呼吸も止まっていました。
僕はクロさんの全てが止まってからも撫で続けていました。
「よかったねぇ、クロさん。もう苦しくないね。ありがとう。ありがとう」
と言いながら撫でていました。
何故このときに「ありがとう」を連呼していたのかは、今でもよくわかりません。何故かそういう感情が湧きあがってきたのです。
冷たくなっていくクロさんが寒くないように毛布で包み、家族に連絡しました。
その時一緒に家にいた妹も、クロさんの亡骸を撫でながら泣きました。
火葬したクロさんの骨は、あの長い綺麗な尻尾がはっきりわかりました。
その骨は今も我が家にあります。
命を預かるとは、こういうことです。
クロさんを捨てた元飼い主にも何か事情があったのでしょう。
僕があの時、クロさんを殺す選択が出来たように、命を預かった側は、その命を捨てることもできるのです。
命を預かるというのは、そういう事なんです。
メイさんの体重は、約400グラム。
僕が今まで持ってきたモノの中で最も重い400グラムです。
どうか、健やかに、幸せに。
これから一緒に生活してきましょうね。
コメント
No title
この出来事に対して何か一言でも言うのは、それを汚してしまうように思えて、僕は何も言うことができません。
しかし、これを載せてくださったmotonariさんに感謝することは許されるだろうと思い、こうして初めてコメントします。
ありがとうございました。
2010-05-21 05:48 toaru閲覧者 URL 編集
No title
チビさんと仲良くなってくれるといいですね♪
いまうちにいる2匹は仲は悪くはないのですが一緒に寝ることがないのでちょっと残念・・・
昔飼っていた子はいつも一緒に寝るくらい仲良しでした♪
クロさん、最期を看取ってあげられてよかったですね。
昔飼っていたうちの猫は2匹とも突然の死別だったので、今でも後悔の念が消えません・・・
ペットは家族・・・ほんとにそう思います。
メイちゃん、元気に育つといいですね♪
これからのチビちゃん、メイちゃん日記も楽しみにしております^^
そういえば、マジック好きな人ってネコ好きが多い気がします。
ふじいあきらさんもネコ好きですし、前田知洋さんもネコ好きだったはずです。
少し前に、マジック好きな人30人くらいに猫派か犬派か聞いたことがあるのですが
猫 : 犬 4 : 6
だったような・・・
一般的な回答だと 1 : 9 くらいで犬派が多いみたいなので、やっぱりマジック好きはネコ好きが多いと勝手に思っています(笑)
2010-05-21 13:46 ほほうほうほう URL 編集
No title
私は初めてクロさんの話を聞きました。
死ぬ瞬間も目をそむけずに撫で続けていたk_motonariさんは
本当に最高の飼い主だったと思います。
いや、飼い主と言うよりも最高のパートナーですね。
クロさんも最高のパートナーと一緒に過ごせて
本当に幸せだったと思います。そして死ぬ瞬間も。
最近は動物に限らず、自分の子供すら愛せない人がある話をよく聞き
怒りがこみ上げるときもあります。
動物でも人でも命の重さは同じです。
そして、育ての親としての使命の重さも同じ。
私は金魚くらいしか買ったことがないのですが、
やはり死ぬのはつらかったです。
ちなみに私はネコと犬ならネコのほうが好きです。
ただ、ネコとハトで比べたら鳩が好きですね。
私もマジック好きですから。いつかはやりたいんですよ鳩だし
2010-05-21 21:07 reeclow URL 編集
No title
私も2匹の猫を飼っています
そんな日が訪れてほしくない!
と強く思いました・・・。
でもいつか必ずそんな日が来るでしょう。
今を大切にしようと思った、ほんとうに素晴らしい
そして、とても悲しいお話でした。
2010-05-21 23:04 jerry URL 編集
No title
でも、うちのミミちゃんのが可愛いんだからっ///
2010-05-22 00:15 風船ガム URL 編集
No title
私も猫さんを2匹飼っていますが、うち1匹が突如ぐったりして、エサも食べず、水も飲まず、ガリガリに痩せてしまいました。
同時に異臭もし始めました。
足を見ると、後ろ足が腐り始めていたのです。
獣医さんに診てもらうと、足は切断しなければ命にかかわるとのことで、やむなく足を切断することになったのです。
幸いにも3本脚ながら順調に体力は回復してきています。
メイさんもチビさんも、健やかに過ごせますようお祈りします。
2010-05-22 02:04 TATTA URL 編集
No title
病気は本当にいやですね。でも避けられるものでもない。それに付き合っていく覚悟は必要です。
私も今介護中の身なので・・・(人間のほう)。頑張って付き合い中です!
2010-05-22 23:10 らっきい URL 編集
No title
toaru閲覧者さん
読んでもらえてとても嬉しいです。有難うございます。
僕は勝手に自分の好きな事を書いているので、それに対してはどのような反応でも、(業者コメは即刻削除ですが)拒むことはありません。またコメント頂けると嬉しいです。
ほほうほうほうさん
可愛いですよ~、まさに可愛い盛りの時期ですからね。
チビさんとは、まだすこ~しだけ距離がありますが、きっと埋まります。2匹以上の猫を一緒に飼っていても、仲良くなる場合とそうでない場合があるようです。
突然の死というのは無念でなりませんね。チビさんもメイさんも、そして僕自身の身にも、いつ何が起こるかわかりません。そう考えると不安になりますが、不安がってばかりいてもしょうがないのですよね。
マジック好きに猫好きが多いのは、マジックのように、ある意味、柔軟な発想を常日頃から行うような人間にとって、猫の自由気ままな性格に同調できるのかもしれませんよ。
僕は自分でそう思っているのですが。
2010-05-23 00:40 k_motonari URL 編集
No title
クロさんの事を書くと重い話になってしまうので、ブログを作った時とほぼ同じ時期の事でしたが、避けていました。
自分の手の中で命が尽きる瞬間を経験して、どうしようもない重い「死」と、それと同時に強烈な「生」が感じられました。
クロさんは死ぬその時まで(当たり前の話なのですが)生きていましたので、その差を肌で感じると、生と死、両方を強烈に浴びせられるような感覚でした。
ハト出しは僕も一度はやってみたいですね。ランス・バートン(僕よりも年上の方ならチャイニング・ポロックなのでしょうかね)は永遠の憧れです。
jerryさん
拙い文章でしたが、そう言って頂けると嬉しいです。
まさに今、その瞬間を大切にして、それが積み重なっていたから、僕は死んだクロさんに「ありがとう」を連呼していたのかもしれませんね。
風船ガムさん
我が家のチビ&メイに対抗出来る猫がこの世にいるとは思えませんな!(親馬鹿)
是非ブログで写真を見てみたいです。よろしくお願いいたします。
2010-05-23 00:48 k_motonari URL 編集
No title
それは、また大変辛いご経験でしたね。症状が見え始めてからでは遅い、ということが、本当に一番怖いです。定期的な健康チェックは大切ですよね。
もしチビさん、メイさんの足を切断しなくてはならなくなった時、自分の腕が代わりになるなら即差し出すことが出来ると、断言できます。もう家族ですので。
>幸いにも3本脚ながら順調に体力は回復してきています。
それは本当に、良かったですね。これからの回復もお祈りしております。
らっきいさん
それは、何というか、申し訳ありませんでした。
実際に飼われている方だと、より重い話になってしまいますよね。
>私も今介護中の身なので・・・(人間のほう)。頑張って付き合い中です!
頑張ってください!応援させて頂きます。
2010-05-23 00:56 k_motonari URL 編集
No title
泣きます本当に。
2010-05-23 17:35 芸なし名前なし URL 編集
No title
1年前というと、僕何書いていましたかね・・・??
そんなに長く読んで頂いて嬉しいです。
2010-05-25 23:46 k_motonari URL 編集