どんでん返しの奥の奥
本の話し「お腹を壊す」という言葉はお腹の調子が悪くなった状態を言いますが、それならなぜ「頭を壊す」や「目を壊す」という言葉は使われないのでしょう。
手足に対しては「肘や膝を壊す」とスポーツ選手に対して使われていますが、お腹や手足以外の部分が悪くなったとき、「壊す」という表現は使われないですよね。どういう判定基準によって僕らは言葉を使い分けているのでしょうか。不思議だなぁ。
ミステリーやサスペンス小説を読み終えて、「この作者にマジックの知識や経験があったら(マジックを構成して実演できれば)凄いマジックを作りそうだな」と思う時があります。
ピエール・ルメートルの小説を読み終えた後にはこう感じました。
「あぁ、これは高木重朗先生のソリッドカップだな」
「悲しみのイレーヌ」、「その女アレックス」
あまりに衝撃的な内容だけに人に話したくなりますが、ネタバレや残忍な描写を忌避してうまく説明できない、そんな2冊。
「悲しみのイレーヌ」も「その女アレックス」も、ある残忍な事件を追っている「カミーユ・ヴェルーヴェン警部」が主人公。
主人公たち捜査チームは、ある凶悪な事件の捜査中、過去の未解決事件との共通点があることに気づき、それらの事件が一本の糸で繋がったとき衝撃的な結末に進んで行ってしまう、というストーリーなのですが、このように書くと割と普通な展開に思えます。
というより、これ以上説明すると根本的な部分のネタバレになってしまうので、このようにしか説明できない内容でもあるのです。
「悲しみのイレーヌ」も「その女アレックス」も物語の終盤で、ある衝撃の事実が判明します。ソリッドカップだったわけです。
じゃあこれまで読んできたものは一体何だったのだろう、と思いつつページをめくると、さらに衝撃の内容が待ち構えています。2段構えの、なんというか容赦なく読み手を攻撃する構成に鳥肌が立ってしまいます。
物語が進むうちに登場人物の行動や目的が判明していきますが、新たな事実が提供されるたびに読み手が翻弄され、衝撃の結末へ一気に落ちていきます。
「どんでん返し」という言葉がありますけど、使い方によってはそれまでの構成を台無しにして不条理な結末になってしまいます。
マジックの場合は最後に不条理なフィニッシュをもってこようが、そもそも、それまでの現象自体が不条理なものですから、よっぽどの無茶をしなければ「あー凄かった」で終われますけど、この小説の場合どんでん返しの後にもう一つ山場があり、その結末は何とも後味が悪く、誰も幸せにならない。
でも凄いものを読み終えた、という充実感は確かにあり、それがなんとも気持ちの悪い気分にさせてくれます。

そんなことを考えているうちに夜が更けていった。
アレックスはちびり、またちびりとウイスキーをなめながら、結局のところずいぶん泣いた。まだこんなに涙が残っていたのかと驚くくらい、いくらでも泣けた。
なぜならそれは、あまりにも孤独な夜だったから。